聖ヨセフ・カラサンス

聖ヨセフ・カラサンス
11月27日を、海の星カトリック幼稚園では創立記念日として休園にします。この日は、園を運営するエスコラピオス修道会の創設者、聖ヨセフ・カラサンスのお祝い日にあたります。ヨセフ・カラサンス神父(1557〜1649)は1767年、ローマ教皇によって「聖人」とされ、1948年には「全世界のカトリック学校の保護者」とされました。「聖人」とは神さまの教えに従って生きる生き方を身をもって私たちに示してくれる人のことです。聖ヨセフ・カラサンスの生涯をお子様にもわかるようにご紹介します。

 ヨセフ・カラサンスは8人兄弟の末っ子でスペインに生まれました。元気な子どもで、小さい頃から立派な人になりたいと思っていたので、お手伝いやお勉強をがんばりました。学校で1番好きだったのは「神さまのお話」の時間です。お話を聞いてお祈りをするうちに神さまととても仲良しになり、友達にも神さまを好きになって欲しいと思って、学校ごっこや教会ごっこをしました。
 大きくなるにしたがって、ヨセフは神父様になりたいと思うようになりました。町に出て大学に入り、神父様になるための勉強を始めましたが、お兄さんが2人とも亡くなったため、お父さんは家にいて欲しいと言って、許しませんでした。お母さんも亡くなり、家に帰ったヨセフは重い病気になりました。悲しむお父さんに、ヨセフは、「もし、病気が治ったら、神父様になってもいいですか。」と尋ねました。お父さんは「生きてさえいてくれれば。」と答えました。その後ヨセフの病気はだんだん良くなり、勉強を続けて、神父様になる事が出来ました。
 カラサンス神父は、優しい目をして、がっしりとした背の高い人でした。とても力持ちで、重い荷物を引いたロバが泥沼にはまりこんで動けなくなっていると、泥の中に入っていって、ロバを担ぎ上げて助け出したりしたのでした。相手の人の気持ちを大事にし、誰にも優しく、どんな時にも心を込めて仕事をしましたので、みんなに頼りにされました。一生懸命仕事をして、たくさんの難しい問題を解決しました。
 その後カラサンス神父は、神学の博士になりました。ローマで、教会の仕事のほかにたくさんの奉仕活動に参加しました。ペストという恐ろしい病気が流行ったときには寝る間も惜しんでたくさんの人の看病をしました。そのころローマでは一日中、町の中で騒いだりいたずらをしたりして迷惑をかけている、学校にいけない貧しい子ども達がいました。カラサンス神父は心を痛めていました。ある日、神さまの声を聞きました。「カラサンス、このかわいそうな子ども達の世話をあなたに任せます。あなたを、この子ども達のお父さんにしましょう。」当時、学校はお金のある家の子どもしかいけませんでしたが、勇気を得て、何人かの神父様といっしょに、貧しい家の子ども達を教え始めました。カラサンスの学校の子ども達はお行儀が良くて、良い仕事に就けると評判になりました。「子どもはみんな学校へ行って勉強できるように。」と最初に考え、実行したのはカラサンスでした。学校の評判は広まり、どんどん生徒が増え、先生(神父様と修道士)もいっしょに住み込んで子ども達の教育のことだけを考えるようにしました。この学校をエスコラ(学校)ピア(愛と尊敬)と呼びました。これがエスコラピオス修道会の元となりました。
 それから、カラサンス神父の人柄や行いに引かれた青年がたくさん入会し、ヨーロッパのあちこちから学校を作って欲しいと頼まれるようになりました。子ども達の素直なお祈りが聞き入れられることを知っていたカラサンス神父は子ども達にもいっしょに祈ってくれるように頼み、神父の周りではたくさんの不思議なことが起こりました。その頃、教会の中ではガリレオ・ガリレイの地動説に反対する人がほとんどでしたが、科学が神さまの考えと矛盾しないと信じていたカラサンス神父はガリレオの研究の手伝いもしました。いつも正直で正しいことは「正しい。」と言う勇気を持っていました。92歳で生涯を閉じるまで、多くの人から慕われ、尊敬されました。
 ヨーロッパ各地に広まったエスコラピオスの学校からは、有名な芸術家、学者たちが育っています。今では世界33カ国に234の学校と教会があり、四日市の海星中学・高等学校も海の星カトリック幼稚園もそのひとつです。『海の星』の子ども達を、聖ヨセフ・カラサンスは天国からいつも守って下さっています。