20 共有する愛

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まず、なぞるところから。みんな真剣でいい表情。

 やっと、緊急事態宣言が全国で解除となります。このブログ「すこやかにゆたかにひきこもるために」を締めくくり、明日は再開準備をしようと思います。

 私は2歳半のころ難しい病気で長く入院していたそうです。毎日、注射のためにお医者さんと看護師さんが部屋に入って来るなり、ベッドの上に正座して「おはよ、ごじゃまちゅ。」とかわいく言い、注射器が出る前には「ばんしょこ、はれ~!」(注射後、針のあとに貼ってくれる絆創膏のこと)と大泣きした…など、その頃の自分の発したことばを母が語って、わがままだった、たいへんだったと何度も聞かされました。子どものころはそれを聞くのが嫌でしたが、今は、それが私を大切にして全部記憶してくれている母の愛だったことがわかります。

 子どもの言葉を書き留めておきましょう。きっと、どの家庭にも家族だけがわかる「〇〇ちゃん語」があるでしょう。特に言葉の出始めたころは可愛くて、みんなで真似をしましたね。「ちいさいころは、こんなこと言っていたよ。」と折に触れ伝えましょう。それは両親がどれほど愛しているかの証しです。家族でそれを共有することで、何があっても、その愛が家族をしっかり結び、困難を乗り越えさせる力となります。

 ちなみに、うちの子どもたち(2歳ころ)の言葉は・・・何か失敗したりうまくいかないとき長男は「ありーらりら、ありーらりら、ありーらりらり!」(「りー」の部分を高いキーで)そして「べちゅにいいじゃない。」と明るい調子で言いました。次男は、「できなかったから、できなかったね。」でした。これは今、私の癒しとなっている言葉です。娘をベビーカーにのせ、長男を幼稚園に送って行くとき、横を歩くお兄ちゃんたちに向かって1歳の娘は「がんがっくん、がんがっくん!」と言っていました。「がんばれ、がんばれ!」のつもりだったようです。教えないのに出てくる子どもの言葉、不思議ですね。

 子どもは希望です。確かに子育てがたいへんだと思う瞬間は多いのですが、確実に両親の愛を受けとめ自分から「希望のことば」を発してくれます。それを家族で何度も共有しましょう。よかったら、私たちにも教えてください。

 やっぱり、子どもたちは、神様の愛を伝えるためにここに来てくれた天使だと、私は思います。

 

そ・れ・で・も奮闘記 (最終回)

 さて、そんな香港に駐在していたのに、ティオマン島からわたしたちはいつ脱出できるのでしょうか。

 その日も、美しい朝が来ました。シャレ―のテラスから海を眺めます。日本はどっちかな。日本の親さえここにいるとは知らない…香港はどっち? いつもの水平線は穏やかに弧を描いている…すると、何か聞きなれない音。みるみる迫ってきた何かが突然、わたしたちのシャレ―のすぐ隣の浜にグィーンと乗り上げてきました。

 ホーバークラフトというものでした。水の上を浮くように高速で走るというあれです。白い流線形のその物体の後ろには大きな筒の中にプロペラ。窓もドアも、ちゃんとスライドしてピッタリ締まるようになっている! 操縦しているお兄さんにいろいろ聞いてみると、今日帰る船だという。えぇ~! かえれるの! ほんと?! 半信半疑でしたが、大急ぎで荷物をまとめ、どうやって手続したのか、シャレ―の謝礼(!)を支払ったのか記憶がありませんが、バタバタっと乗り込みました。神さま、ありがとう!

 速い。快適。スムーズです。来た時の半分くらいの約1時間で上陸。着いたところは前に乗った場所とは違う港だったので、私はとっても不安でしたが、「大丈夫、大丈夫。」と、相変わらずおおらかな夫でした。今調べてみると、行きが北部のダンジュン・モッというところ、帰りはメルシンという町だったようです。タクシーを交渉して、シンガポールまで走ってもらいました。記憶しているのは、「ほんとに南に走ってるのかな。反対方向じゃないの。」と不安に思っていたことだけで、その不安ははずれ、ちゃんと、着いたのです。そこからシンガポール空港で便を取り、どのように香港に戻ったのか、誰も記憶していません。とにかく、帰ることができる、もうそれだけで、よかったのでした。

 神さま、ほんとにありがとう。この旅で、自分たちのいただいている恵みの大きさに気づきました

 皆さま、長い長いティオマン島の旅につきあってくださってありがとうございました。~おしまい~

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ホーバークラフトの前で。なぜか、全員目が腫れている。「かにさん、さよならだね。」